ヴォルテレッスン体系
ヴォルテは大人が、アントロポゾフィを背景に新たにことばを学び直す場所。言語造型の学び舎です。言語造型って何だろう?アントロポソフィって何?と思われるでしょう。少し駆け足になりますが、まずアントロポゾフィは宗教ではなく、人間や世界をある見方で見て生きてみようという一つの世界観です。
世界観というと難しいかもしれませんが、私たち皆、実は無意識に人生をある見方で見たり、人間をある見方で見たりして、それによって決断したり、行動したりしている。それがもう人間観であり世界観です。アントロポゾフィはシュタイナー教育の背景にある世界観で、ルドルフ・シュタイナーが創始者です。シュタイナーは言語造型、オイリュトミーという芸術の創始者でもあります。
ヴォルテはこの、言語造型をベースに、大人がことばを学びなおす場所です。大人が変われば子どもも変わる。ヴォルテは大人対象です。かなりきちんと学んでいただけるよう密度の濃いレッスンを少人数で行うといことを創設5年以来守り続けて言います。
そのためがっかりなさるかもしれませんが、言語造型は身体を使う芸術ですので、新たに語学やスポーツを学ぶのと一緒で、年齢的に三十代、
あるいは四十代までの方を主に対象としています。それ以降になると身体も理解する頭も固くなり、学ぶことが大変難しくなるので、ご相談いただいて、素話
クラスまでは試験期間とさせていただき、それ以降のご受講についてはご相談させていただいています。
シュタイナーはことばの世界を三つに分けています。お話の世界、ドラマの世界、詩の世界です。今回は中級クラス(ドラマの世界)で学んでいる長谷川さんの三年間のヴォルテ受講体験談をご紹介します。
ヴォルテにいらした方は最初は驚きます。今までまったくしたことのない事が繰り広げられている。言われていることはわかるけれど、いざ自分の心と身体を使って行うとなると、手も足も動かない。わかったようで、家で練習してみるとあれ、まだわかっていない。そういう体験を何度も繰り返しながら、確実に三つの世界を上って行きます。
詩の朗読そのものは芸術性が高く、芸術は学校では教えられないのでヴォルテでは教えていませんが、日常生活の中の詩としてプレゼンテーションを上級クラスで行っています。自分のことばで、自分の意見を言う。聞き手を無理矢理説得するためではなく、また聞き手に何かを買ってもらったり、賛成してもらったりという目的に直結したプレゼンテーションではありません。自分が自分のことばで何を考えているのかを言う。これこそ日常生活における詩の世界です。
また上級クラスでは「言語造型人間学」を受講することができます。言語造型練習文を実際に行い、どのような意味があり、どんな風に人にあらわれるのかを学ぶセオリー半分、実践半分の総仕上げ講座です。デモンストレーションクラスでは、ヴォルテで学んだことをどのように実践していきたいのかを各自が練り、それをデモンストレーションして練習していきます。また群読クラスでは、一つの詩やお話を団体で演劇的に朗読し、作品に仕上げて行きます。セオリークラスでは、読書会、レッスンの理解を言葉できちんと押さえていきます。ヴォルテでは受講者にいつかここから旅立っていただきたいと考えています。上級クラスはすべて旅立ちのための総仕上げです。
レッスン体系
入門並びに初級 素話し/朗読(お話の世界)
↓
中級 ストーリーテリング(お話の世界からドラマの世界へ)/シアターワーククラス
↓
ヴォルテクラス プレゼンテーションクラス
1 論旨を読み取る
2 自分の考えを述べる/ブックトーク
3 お話について語る
↓
上級(ヴォルテクラス以上)
デモンストレーションクラス
群読クラス
言語造型人間学クラス
セオリークラス(読書会、レッスン理解、体系理解)
長谷川さんはご自身も書いているように、最初は三か月一度のみ全6回のシリーズとして開講していた「ことばは子どものごちそう」シリーズにいらっしゃいました。1日たっぷりかけて、一つのテーマからことばを学び、お話も学ぶ。そんな講座でした。その頃のヴォルテはこのシリーズのみを行っていました。
現在のレッスン体系はこのシリーズを母体としています。2000年にスタートし、2003年2月に終わり、と同時にレッスン体系の入門としてプレ講座が開講。ここで素話クラスが誕生しました。長谷川さんは、ヴォルテレッスン体系の展開とともに、育ってきた第一期生といえます。
受講生の最初の状態を常に覚えている私にとっては、あれから三年たち、大きく変わったと思います。長谷川さんの最初の様子を今でもはっきり覚えています。特に昨年はめざましく伸びました。
どなたでも、長谷川さんのように練習しながら三年通っていただければ、ここまで変われるのだと思う一方、三年間、小さなお子さんを抱えつつ、それよりもさらに困難だと思われるのは、言われたことをきちんと理解し、受け止めて、自分で考えて、家で工夫しながら練習しつづけたことです!言われていることをそのままわかって、稽古する。これがホントに難しいのです。さて長谷川さんは、どんな風に受講してきたのでしょうか?本号は前半(受講の様子そのもの)をご紹介し、次号では体験記の後半部分(ヴォルテのレッスンが生活にどう波及したか)をご紹介します。
WORTE体験記 長谷川 裕美
最初のレッスン「ことばは子どものごちそう」シリーズ3回目 2002年私が、ヴォルテを初めて受講したのは、2002年に行われた「ことばは子どものごちそう」シリーズの3回目でした。このシリーズはのち6回(最終)ま
で受講しましたが、初日に受けた「巨人さんと小人さん」のレッスンは、大変印象に残っているレッスンのひとつです。
まず巨人さんになるには、自分が大きく大きくなった気持ちになります。山も川もはるか下に小さく見えます。足をのっそりと上げ、山をひとまたぎして、
ドッシーンとおろします。次の二歩目は川をひとまたぎして、ドッシーン。巨人は体が大きくて、足の先が頭から遠く離れているので、意識がゆっくりとしか伝わらず動作ものっそりのっそりです。一方、小人さんは三頭身です。三頭身になるには、膝を曲げてしゃがみ、体はこごみます。手を短くし、かかとをあげてちょこちょこと歩きます。次に大きい巨人さんが小さい小人さんを探します。
巨人になって歩いていると、自然と声も低くなり、話し方もゆーっくりになります。そして「おーーい、こ・び・と・さーーん、ど・こ・だーー」と話しかけます。これに答える小人さんんはとても早口で高い声になります。テープの早回しのような声です。「ここだよ、ここだよ。」ちょこまか、ちょこまか。「巨人さん、ここだよ」このように体の大きさで、動き方や声の質がまったく変わってしまうのです。このレッスンで“自分の内にあるファンタジーの力を使って、自分の体を動かし、その変身した身体から声を発する”ということを、初めて体験しました。私の身体にとって衝撃的なことだったにちがいありません。だからこそ今でも鮮明に覚えているのだと思います。
苦手な一番の身ぶり「ことばは子どものごちそう」シリーズ4回目 2002年
シリーズ4回目では、「身ぶり」について学びました。
「あ、あった!」と言う時のように、一気に対象に向かって指を指すのが一番の身ぶり。一方、人は何かをじーっと考えている時、腕を組んだり、頭に手を当てたりしたまま動きません。このように手で体の一部に触れたまま動かさずにいるのが2番の身ぶりです。3番は、どうしようか迷っている時などの身ぶりです。行こうか、やめようか。こっちにしようか、あっちにしようか、など。このとき体は揺れます。
人によって得意な身ぶりがあります。私は一番の身ぶりが苦手です。肘を伸ばし、一気に指をさす、というのがつらいのです。肘が曲がったり、指がまがったり、対象を突き刺すような気迫がなかったり、なかなかできません。この指さすレッスンは、形を変え、後にいろいろな講座で行われましたが、いつもなかなか恵矢さんのOKがもらえません。いつか、一番の身ぶりがビシッと出来るようになった時、自分の意見をはっきりと他人に伝えられるのだと思います。
2002年秋 映像を描く、そして動く 3日間集中講座
次に受講したのは、「お話の世界に学ぶ、映像の力と身ぶり」という3日間の集中講座でした。
テキストは「ヘンゼルとグレーテル」でした。その中でお菓子の家がどんな家なのかを伝える場面がありました。それまでは何となくぼやっとしか想像していなかったのですが、はっきりと映像を描かないと、ことばにすることができません。「屋根はココアのクッキー、煙突はしましまのキャンディ、壁はフワフワのマシュマロ、ドアはチョコレート、等」ことばで表そうと思った時、初めてきちんと映像が現れてきました。語り手が映像を描いて話すと、聞き手にも映像が伝わると言うことでした。とっても楽しかったです。
今度はこれに、身ぶりを入れて語りました。映像で見ているものをきちんと指さしたり、しましまのキャンディを手を交互に重ねていって表現したりしました。見ている人にちゃんと伝わるように手を動かすのは、難しかったです。一つ一つの動きを恵矢さんに直されました。これもちがう、あれもちがう……とってもきつかったです。私は明らかに映像タイプであって、動くタイプではありませんでした。もちろん今も……。
2003年春 素話し
次に素話しクラスを受講しました。テキストは「長靴をはいた猫」でした。
素話しクラスのテキストにはあらすじのみが書かれています。そして受講者がそれぞれお話をふくらませていきます。まずは最初に読んだ時の印象を、皆の前で話します。
それからこのお話がどんなお話だったかをあげていきます。例えば「猫が恩返しをするお話」とか「猫がちょっとしたチャンスを逸さずに幸運をつかんでいった」とか、「猫は最初から計画を練っていて実行していった」とか、ひと様々の印象が浮かびあがってきます。
これらの自分の印象をもとに、それぞれお話をふくらませていきました。私はどこもかしこもお話をふくらませすぎて、長くてボーッとしたお話になってしまいました。聞いている方達も、
眠いのをこらえて、やっと聞いてくださっていたようでした。恵矢さんからは、お話をもう一度捉え直し、大事な場面だけをふくらませ、話を進める場面ではふくらませすぎないように、というアドバイスでした。そこでお話をもう一度見直し、お話を作り直しました。これは、お話をどう解釈するか、というレッスンでした。(ここでつけたお話を解釈する力が、後にお話の構造をつかむ力へつながっていくのだと思います)
この講座で、大理石の床を描写する場面がありました。なかなかうまく出来なくて、何度も繰り返しているうちに、質感までも捉えて映像を描くということを学びました。
それからセリフの時に、その登場人物をイメージするような身ぶりを一つだけ入れるようにしました。王様のときは顎をあげたり、猫が「おい!おまえたち!」と威張るときは、人さし指をたてたりしました。ほんの少し手を動かすだけでしたが、この時は精一杯でした。
球形とは???
そして「球形」のレッスンをこの講座で初めて受けました。球形とは、人の体を包んでいるもので形が変わります。例えばびっくりすると、特定の方向へさっととんがるようにすぼまるし、のんびりすると大きくなります。球形をことばに合わせて変化させられるように、たくさんのレッスンがありました。テキストの一部を使って練習しました。
「おい!おまえたち!」と話しかける時、自分が大きくなったように感じながら話すと、球形が大きくなり、声も大きくなります。次に農夫が怖がるところでは、球形は小さくなり、王様が「この土地は誰の者か?」と尋ねるときには、王様なのでまた大きくなり、次にまた農夫が怯えるので球形が小さくなる、という練習をしました。何度も球形のレッスンをするうちに、次第に身体がほぐれていったように思います。そして、確かに球形があるということが実感できました。
2003年夏冬 朗読クラス
次に朗読クラスを受講しました。テキストは「こぶとり」でした。
素話しとの大きな違いは、テキスト通りに語るということです。素話しでは自分のことばで、自分の動かしやすい球形を使って語ってきました。でもテキスト通りに語るにはそれを突き破らなければなりません。人によって、得意な球形のかたちと、不得意なかたちがあります。普段あまり使わない球形のかたちは、居心地が悪いし、そのかたちを保つには大変なエネルギーがいります。
「こぶとり」ではまず広がりとすぼまりのレッスンがありました。おじいさんが木の穴で夜中になるまで雨宿りをしていると、鬼が現れるという場面があります。
「鬼はどんどん、どんどん、近づいてきて、ちょうどおじいさんのいる穴の前でとまりました。…省略…『おお、こわい』おじいさんは穴の中でちぢこまっていました。」
ここまではことばに合わせて、徐々にぎゅーっと球形も縮こまっていきます。次に「鬼たちは、ごちそうやお酒を出して、飲んだり食べたり歌ったり踊ったりしました」
今度は一言ずつ広がっていくのです。
私は広がるのは難しくないのですが、すぼまることができませんでした。肩をすぼめ、体を丸くかがめ、力を入れてギューッと小さくなります。そこまでしても、私の球形はなかなかすぼまってくれませんでした。
何回目かのレッスンで恵矢さんに「できたじゃないですか!」と言っていただき、受講生のみなさんに拍手までしていただきました。でも「これが出来ただけでも、この講座を受けた価値がありますよ」という言葉には、正直「そうかなあ」という気持ちで一杯でした。でも今思うとそれは、さびついて動かなかったものを、一度がんばって動かせば、後はだんだんとなめらかに動くようになっていくようなもので、あのとき一度でもすぼまれたことは、私にとってとても大事なことだったのです。
この他にも、普段自分が使わないような球形を使う場面がいくつかありました。そのため?なのか、私のお話はくずれていきました。テキスト通りに表現するには、自分の心地いい枠からはみ出ていかなければならず、練習すればするほど、お話はボロボロになっていきました。
それまでよりも、沢山の身ぶりが入ったことも大きな原因だったのかもしれません。私は全てを消化することができず、お話は仕上げられぬまま、レッスンが終わってしまいました。もちろん、おさらい会には発表できませんでした。でも、あのくずれていくプロセスは必要なことだったと思います。そこから生まれてきたものがきっとあるはずです。少なくともこの経験がバネとなり、「おさらい会までに仕上げるぞ」という意気込みと集中力が生まれたのは確かです。
このクラスでは、映像について大きな学びがありました。私は「映像」を描くつもりが、実は「絵」を描いていたということに気づきました。鬼の描写をしていたときに、恵矢さんの「描けているんですけどねえ、何か平板なんですよねえ」という言葉に、私が「絵」を描いていることを伝えると、「そうではなくて、実際にここに鬼がいて、動いている映像を描いて下さい」と言っていただきました。
これが出来るようになるにも、時間がかかりました。それでも練習するうちに、やっと立体の鬼が現れ、動き出してくれたのです。あまり奥行きのない映像だったと思いますが、でも二次元が三次元に変わったことは、大きな変化でした。
それからキャラクター(登場人物)へ変身するレッスンもありました。まず、変身したい登場人物を想像します。次にその身体的特徴を言います。例えば、鬼の親分は「3メートルも背丈があり」「赤い鬼」「角が二本」「大きな口」「太い腕」「がにまたの足」とします。今度はそれを一つ一つ体で感じていきます。自分の背が3メートルまで大きくなったと感じ、赤い肌だと思い、頭に二本角が生えているように感じ、口は大きくにーっと笑い、腕が太くなったと思い、足をがにまたにするのです。そしてその姿勢をとったまま崩さないようにして歩きます。歩けたら、しゃべります。「おい、じじい。」と発する声は、鬼の声になっているのです。そのときしゃべる鬼の声に自分でもびっくりします。
2004年ストーリーテリングクラス
朗読クラスの次に、ストーリーテリングクラスに進みました。ここでは知っているお話の中からテキストを決めます。
私はグリム童話の「星の銀貨」を選びました。これはシンプルで短いお話です。だから恵矢さんにつけていただいた動きは、四畳半のスペースの縁をぐるっとまわって歩き、角ごとに人に出会うというものでした。動きはシンプルでしたが、恵矢さんからは、内面の変化を感じることを問われました。
まず大きな流れとして、お話が進むにつれて、主人公の女の子の不安がどんどん強くなっていくというものがありました。これを感じるために、私はみぞおちがギューッとしめつけられていく感じを強くしていくようにしました。それから「女の子は、どんな気持ちでパンや服を差し出し、どんな気持ちで去っていく人を見送るのだろうか」とか「森に入る時は、きっとふくろうの声や風の音をきいていたのだろう」とか、色々なことを想像し、考えました。
そうしてストーリーテリングをすると、ためらいながらパンを差し出すしぐさや、去って行く人を見送る表情や、森に怯えながら入って行く様子等が自然と出来てきました。それらは小さいけれど、とても意味のある動きでした。
このお話については、本当にたくさんの事を考えました。そして最後には「星の銀貨」の大きなテーマは「光が闇にうちかつことだ」ということを、他人の言葉ではなく、自分の内面から聞き取ることができました。
こんなにも一つのお話に深くもぐり込んだのは、初めてでした。とてもいい体験でした。
2005年再びストーリーテリングクラス
次の年(実は今年)はもう一度ストーリーテリングクラスを受講しました。今度はグリム童話の「おどっておどってぼろぼろになった靴」を選びました。
まず最初にお話の構造をつかむという課題があります。これまではお話の印象をつかみ、解釈することが主題でしたが、ここではさらに、お話の構造をつかみ取ろうとします。
「おどって〜」で言うと、まずお城からお話が始まりますが、つぎつぎと場所が移動していきます。地下へと移りまた城に戻り、今度は町へと話は進み、そしてまた城、地下、城となります。その中で兵士が靴の謎を解いていく、という大きな流れがあります。またその流れを彩るように、魅力的な登場人物がちりばめられています。気の強いお姫様や、怖がりのお姫様、不思議なおばあさんが要所要所ででてきます。こうしてひとつのお話が織りなされているのです。
このお話の構造をもとに、恵矢さんが四畳半の大きさに動きを振り付けていき、ストーリーテリングのもとが出来てきます。でも振り付けてもらった通りにただ歩くだけでは、お話を表現することは出来ません。きちんと意識(球形)を変化させてから動かないと、そこに空間が立ち上がらないのです。球形の休みない変化が強く求められました。
「おどって〜」の一部分でいうと、まず言葉を言う前に、不思議に思い、いぶかしげに歩きだすのです。それから「なぜかぼろぼろになった靴が……」と語り出します。「……置かれているのでした」とセリフが終わったら、いつも上に立って統治している王様になるために、球形を大きくしていきます。それから王様になります。でも不思議そうな感じは残っています。王様のセリフが次に来るので、王様として大きく腕を組んで、首をかしげてから「わしの姫たちが、いったいどこでおどってくるのか」とセリフを言います。さらにセリフが続きますが、内容が変わるので、王様は異なる身ぶりをします。さらに球形を大きくして、ふんぞり返り、人さし指をたて、まるで実際にそこに王様がいておふれをだしているみたいに動きます。「突き止めることができたものには……」と、
続きます。
ひとつ何かを言うたびに、次の球形へ変わり、動き、語る。「意識→動き→ことば」という順序が、身体にたたきこまれました。球形を変化させ続けるのは、きつい作業です。でも、自分の体の中にある心地よいリズムを押しやって、お話がもつリズムやテンポ、大きさ、展開等を語ることが出来たとき、そのお話が贈り物になって伝わっていくのだと思います。いつの日か、私もそうありたいです。
2004年W受講 朗読
今回はストーリーテリングと並行して、朗読クラスを受講しました。テキストは「からすとたにし」でした。
私はこの話をばかなからすがだまされちゃう話ととらえました。「このからすがさあ、だまされちゃうのよ。しょうがないんだよねえ」という気持ちを、セリフの端々に入れたいと思っていました。
例えば「こうほめられてからすは、もといた木に引き上げた」というセリフを、(ああ、もう、だからだめなのよ)
というニュアンスで言いたかったのですが、あまりうまくできませんでした。
テキスト通りだと文が他人の言葉なので、自分の解釈を入れて表現するのは難しいです。それから映像を描くこともおろそかだったと思います。ストーリーテリングで動いて表現することをしていたため、映像を描くことを忘れていたのかもしれません。その他にも、聞き手に語りかけるように話すこと、あたかもそこで事が起こっているように話すこと。きちんと球形を変化させてから語るこ
と、等。課題のたくさん残った講座でした。でもここで振り返ることができ、来期に向けてとても良かったと思います。
ここまでを振り返ってみると、私は大きく分けて四つのことを学んできたと思います。
一つは、お話の構造をつかむことです。お話の印象を伝えることから始まり、お話を解釈する力をつけ、この力が構造をつかむ力に変わっていきます。
もう一つは映像を描くことです。最初は絵だったのが、立体になり、動きだし、やがて奥行きのある映像へ変わっていきました。
三つめは動いて表現することです。最初は、セリフの時に少しだけ手を動かすだけで精一杯でしたが、登場人物に変身して話すようになり、やがてストーリーテリングへつながっていきました。
そして四つめは球形を動かすことです。これもまずは球形があることを感じることから始まり、お話に合わせて球形を動かすことを学びました。
ヴォルテではいつも課題があります。一つできるとまた次の課題。尽きることのない繰り返しに「全然できない」と泣きたくなったこともありましたが、今思えば、一歩一歩前へ進めるように、少しずつ課題を与えて下さっていたのだとわかります。そして言われたことができなかったり、わからなかったりすると、恵矢さんは立ち上がって何度でもやって見せて下さいました。たとえその場ではわからなくても、ある時、「あっそうか」とわかる瞬間があります。小さな光がパーッと明るくなる感じです。そして、何重にも折り重ねられたような、密度の濃いレッスンを受けるたび、毎回たくさんのものを得ていることを感じます。それはことばの世界にとどまらず、日常生活でも大きな糧となっているのです。
つづく