2004年ヴォルテの講座を振り返る



 今年は素話し、朗読、ストーリーテリングなど入門、初級、中級の講座が中心となりました。 


素話しクラスから
 素話しでは、ひとつのお話を場面にわけ、消化し、自分のものにして(インプット)、とにかく相手に伝えようとお話する(アウトプット)の二つにわけて学びました。

 インプットし、アウトプットする。学んだことはこの二つに尽きると言えます。ところがインプットの方法にせよ、アウトプットにせよ、お話によって学べることが異なってきます。というのも、お話の魅力はそのお話の構造そのものに具体的にあらわれるからです。(これが実感できる読み取りができるようになれば、素話しの力もかなりついたと言えます)そこで基本の仕組みは同じでも、さまざまな方法でお話を消化していくステップを御紹介しました。お話を場面にわけては、骨格にまで削り取り、それをまたふくらませてお話のようにする。この作業も何度もさまざまなステップで行っていきます。

 登場人物の魅力もお話にとってはとても大事です。声音だけを変えてもだめです。
 キャラクターはどうやって声に乗り移るのだろうか? どうやって魅力的にお話するのだろうか?
 よく淡々と話しましょうといいますが、お話の中の魅力の大きな一端を担うのは摩訶不思議なそしてとりどりの登場人物たちです。下手な演劇のイメージで、大げさに訓練もせずに声音だけを変えてしゃべるのではなく、どうすれば登場人物の魅力を伝えられるのでしょうか?ヴォルテではきちんとステップを踏んで、フィールドを変えるというレッスンをします。変身をどこまでするのかは個人の自由。でも会話というのは地の文とはまったく異なります。そこでフィールドを変えます。

 また、お話をするというのは贈り物だというけれど、してしまいがちなミスとはどんなことなのだろう?というワンポイントレッスンも行いました。

 学んだお話は、木曜クラスが舌きり雀、浦島太郎、白雪姫。日曜クラスが、しっぺい太郎、わらしべ長者、ハーメルンの笛吹き。週末集中クラスがしっぺい太郎です。

 ここでは「わける」というステップのなかから一つレッスンを御紹介します。


1場面とはなにか?

 わける、という作業ですが、まず場面とは何か?について簡単に説明をします。場面を定義するのは難しいけれど、場面が変わったんじゃないかと気づくことのできる印はあります。それは場所が変わったら、あるいは時間が経過したら、登場人物が登場したり退場したりしたら、場面が変わったからもしれない、
と考えてみることができます。また新しい要素が登場することもあります。

 このようにして、お話をだらだらと追うのではなく、まずは場面ごとに物事を見ていくようにしていきます。ヴォルテの素話し講座を一年受けていただくと、読解力がまずメキメキとついてきます。

 さてでは実際にどこでわけるのかは、芸術ですから答えはなく、あくまでも自分がこう見てこう考えたからここでわけるという風にしていきます。答えがないということで、最初は戸惑うかもしれませんが、そこが醍醐味の始まりです。



2ペアと話しあう

 ここでペアと話し合って分け方が違うところについて、話し合いをします。
 どうして、ここで私は分けたのにあなたは分けなかったの?と尋ねあいます。そのとき、「あなた、私はね、ヴォルテ暦2年なのよ」と権威的にならないでください、と申し上げます。というのもみなさん私がこう言いますと笑いますけど、こういう言い方というのは日常でしょっちゅう耳にすることです。



3理解しあうために


 自分がどうしてここで分けたのか、まず明瞭にできるところまで明瞭にする必要があります。ここで登場人物が新しく登場したから、とか、場所が変わったから、とか、です。なんとなく、では相手に理解してもらおうにも、してもらえません。理解しあう、つまり理解し、また理解されるためには、こちらの方も明瞭にできるところまでは明瞭にしなければなりません。

 おもしろいのは、自分は分けたのに、ペアがずっと分けないときです。自分には区切られて見えるものがペアにはずっと繋がって見えるわけです。何を繋がっているものとして見ているのだろう?と異なる見方を知ることができます。お話が白雪姫だとすると、猟師が妃の命令で白雪姫を森に連れて行くところを自分は森に場所が変わったので、場面が変わったとしたのに、相手はずっと切らないでいる。どうしてだろう?
 

 ここでどうして?と違いを尋ねることができれば、ずいぶん違います。通常、日本では違ってしまうと、黙ってしまうことが多いです。それで、あとでどこか別のところで、「あいつはなってない」とか陰口をたたいてしまうことが残念ながら多々あります。でもそれって建設的でないばかりか、他の見方を知ることができなくって、自分が損をしているんじゃないかと思います。

 さあ、ペアはこう言いました。「なるほど、場所が変わったから、分けたんだ。私はお妃が殺そうと思った行為がずっとつながっていて、失敗するまでをひとまとまりに見たの」なるほど。それもおもしろい。 



4理解の度合い

 講座では二人で話しあって違いを理解しあったあと、みんなの前で「ここで二人の意見が違いました。それはここでは、私はこう考えたけれど、ペアはこう捉えたからです」と発表してもらいます。

 ときどき発表しているときに「おかしいな、二人できいた時には納得したんだけど」と言って、みんなの前では説明できないことがあります。そんなときは無情なようですが、こう言います。

 それはほんとうには理解をしてなかったんですよ、と。課題は相手からきいて、話の流れでなんとなく納得することではなく、みんなの前で違いをきちんと紹介するほど理解することだったんですよ、と。そうなんです。他の人に対
して自分のことばで伝えられるほど、相手を理解する度合いというのは、話の流れで納得してしまうのとは違うのです。ここまできて初めて他者が自分の中に生きている。そこまで相手を受け入れたということになります。でも同じになる、ということではありません。

 日常生活や人生ではこんな風に簡単な具合には、理解することはなかなかできません。相手や自分がなぜこう考えるかを説明できるほど、明瞭にしてないことが多いですし、同じ日本語でも使っている言語が相手と自分とでは違うのではないかと思うこともあるからです。それでもこのレッスンで、他者に出会う、 他者を知る力をトレーニングすることができると私は考えています。



5分けた場面にタイトルを 

 分ける段階では、まだ個々の相違はそれほど明瞭ではありません。次のステップでは、分けた場面にタイトルをつけます。 

 お話が一つの家だとすると、場面は部屋です。聴き手をいかにわくわくと、一件の建築物の魅力へ案内できるかと考えると、一つの場面につけるタイトルとは、その場面の中に入って行くためのドアです。(ちなみにこの例でわかるように、朗読や素話しのように音になって消えてしまうような時間芸術にとっては、構造、建築性がとても大事です)自分がその場面のどこに視線を落としているか、またどう捉えているか、がタイトルにでてきます。同じには絶対になりません。 

 たとえば舌きりすずめの最初の場面のタイトルを比較します。

  おじいさん、怪我のすずめをひろう(→おじいさんが何をしたかで見ている)

  おじいさんと怪我したすずめ(→おじいさんとすずめを並列にみている)

  おじいさんのすずめ(→おじいさんとすずめの関係から見ている)

 どれも似ているようだけれど、微妙に違う。つづらのところになると違いはもっと顕著です。どれも合ってるとか間違ってるとかがないところで、みんな違う。そこがおもしろいわけです。タイトルというのは、場面を個々人がぎゅっと凝縮させたものです。だから個がでる。違いがでる。分けて、場面について話合いをして、タイトルまでつけると、お話のあらすじはもう入ってきています。けれどもヴォルテではまだまだお話を消化していくステップが続いてきます。

 さて、場面を1ー2文に凝縮させましょうという次のステップのとき、どうしても、全部大事という風に選べない、取捨選択できない方がいました。そこで行ったのが言語造型練習文「こら、こっち、こい、こぞう」です。Kの音ばかりです。Kは、構造の力をつけてくれる音です。そこでこの音(K)のために作った練習文を、ある動きとともに練習しました。そうするとその練習文のあとではすっと、取捨選択ができ、場面を1ー2文まで凝縮させることができたのでした。音、というのはそこまで影響があります。



朗読クラスから
 とても地味な朗読クラス、いつもとっても少人数でした。でも言語造型はこのクラスから始まるといっても過言ではありません。素話しクラスのように、たくさんのステップがあって、ということはなく、大まかな取り組みのステップが毎回お話によっていくつかあって、あとはそれぞれが実践して、実際にできるようになる、という実践クラスです。

 何がテーマか? ずばり、ヴォルテでいう球形という摩訶不思議なものです。

 このクラスでは球形が、素話しよりもうんとものをいいます。素話しクラスでつちかった読解力、そして伝えたいと思って人が口を開くときに放出される熱(温もりのもっと熱いもの)を使って朗読します。ヴォルテでは朗読を、文字はテキストどおりに行う素話しとして考えています。テキストどおりなのに、素話しのように自由。またテキストを楽譜のように読むことも学びます。 

 たとえば「ある日のことです」という文はよくお話にでてきますが、「ある日」ときたら、それは楽譜としてテキストを読むことに慣れていれば、聴き手の注意を喚起することだとわかります。「ある日」とくれば、それは新しい行為が生じる印だからです。そこで球形を、注意を喚起する形に変えます。

 句読点も打ち直します。息の切れ目が、意味の切れ目になります。そこでたいがいのテキストはあまりそのように句点がうたれていないので、打ち直します。そしてまずが句読点に細心の注意を払って音読します。と、流れのようなものが生じてきます。一塊の流れが、一つの意味になってきます。すると意味がすーっと聴き手に入ってきます。それから登場人物の直接会話と地の文では、フィールドを変えていきます。

 また朗読はストーリーテリングへつながっていくので、朗読クラスが2回目以上の人の場合は、「半畳のストーリーテリング」へだんだんと発展していくよう、講座内で指導します。

 テキストは3つの願い、3枚のお札、おいしいおかゆ、をしました。



ストーリーテリングクラス


 空間が立上がるとはどういうことなのか? 

 これにつきるレッスンでした。どうすれば、身体性を通して、部屋全部が変わるのだろうか?そうすると何が素話しと違ってくるのだろうか?

 朗読クラスでは球形に注意しましたが、このクラスになると足の運び、腕の動かし方、頭の位置、などもっと多くのことが表現になることを学びます。どのクラスもそうですが、3回ほど繰り返していただいて初めて本当の理解が始まります。このクラスでは、全員が自分の好きなお話を選び、それを素話しに仕上げてから、私が一つ一つ演出し、空間をどう動くかの道とジェスチャーを振りました。とくに道がお話の構造を表していることまで理解し、お話を読むときにもうそこまで身体の中に入れずにはいられない読解力を身につけるところまでいけば、お話の世界をほんとうに卒業することができます。

 ぜひおさらい会でご覧頂きたいです。


  
      


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