ヴォルテのレッスン
どんなレッスンなの?
まずいちばん近いのが「朗読」のレッスンです。近いことは近いのですが「朗読のレッスン」と言い切ってしまうと違ってしまいます。数多くある朗読の
レッスンとはまったく違います。話し方教室などとも違います。何が一番違うのか、というと音の捉え方がまったく違います。実際に講座で
「なんかことばの捉え方、とか大事にしていることが違うみたい」 そう思っていただけたらなあと思っています。極端に言うと、にんげんってどんな存在なんだろうと見る見方が違っているのです。
黙読から音読への道
ことばが生き生きと私たちの耳に響くとき、何を伝えてくれるのでしょう。豊かな映像、情景、風景、思考。ことばにならない物語や感情さえも伝えてくれ
ます。ことばは実に多くを伝えてくれますね。声はほんとに忠実にことばになるもの、ならないものを伝えてくれる振動です。
文章を読むときに五感を働かせてみましょう。書かれていることを理解するだけではなく、すべてに五感を働かせてみましょう。ふだんはそんな面倒くさいことはしていませんね。そんな習慣もありません。風のそよぎを頬に感じ、水の流れを聞き、思考の流れを順々に追ってみましょう。どれも特別なことではありません。ひとつ、ひとつやってみれば、案外できるものです。まずはそれだけでことばのいのちが始まります。やがて文章から香りや色彩を感じるようになるでしょう。印刷された文字は記号であり、文章は情報に過ぎなかった私たちにとって、はじめは慣れないことかもしれません。けれどもことばからいのちを
くみ出せることを知りはじめると、とてもおもしろくなってきます。がぜん、生き生きとしてきちゃいます。
黙読の時の読み方を変えていくだけで、いろんなことに気づきます。周囲の人の話し方、ことばをどんなふうに使っているのか、どんな気持ちで話している
のか、耳が自然と聞き取ってゆくようになります。
それから五感に溢れる文章を見ると、声にだして読んでみたくなります。
さあ、黙読する時に堪能した風や光、色彩の輝き、人の心の移り変わりを、どのように表現すればいいのでしょうか。言語造型はここから始まります。
黙読から音読へ、移ってみましょう。黙読の段階では素通りしていたことに、音読してはじめて気づくことがたくさんでてきます。
黙読から音読への道は歩いてみると、実はずいぶんと長い道のりなんですね。歩んでみないと分からない自分の癖、限界があります。この時にはじめてことば
の身体があることに気がつきます。黙読の際に聴いたようには、自分の口が話せない。話しているつもりでいるとやけにセンチメンタルになっている。それは
自分のことでありがながら、自分の思う通りに自分を使いこなせないからなので、落ち込むこともありますが、朗読の醍醐味、造型する自由を知ってしまえば
そんなことも何のその。
言語造型のレッスンは楽器を習うのと同じだと考えてください。例えば家で練習する必要がありますし、3日でチェロが弾けるようにはならないように、実
際にできるようになるには時間がかかりますし、学んだ人でなければ教えられないです。
ここで楽器に当たるものはなにか?という疑問がでてきますね。楽器は自分の声、自分のからだ、意識、感情、そういうものすべてです。譜面は詩、ドラ
マ、物語などの文学作品です。
自分が楽器だと理屈ではわかるのですが、実際にやってみると楽器として存在してみるのはなかなか難しいです。今まで何十年も無意識に使ってきてしまっ
たので、あちらこちらにさびがついていたりします。しかも何オクターブもあるうちの2、3音しか使っていないので、他の可能性を発見することも必要で
す。そう考えると新しく楽器をつくると言った方が適切な表現かもしれません。自分はインステュルメント(楽器/道具)なんだと自覚できると、人生はどん
な風に自分の音を奏でるかだなとも思えます。自分と適切な距離がもてると思います。
いつも上から見下ろす癖のある人、別に見下ろしているのではないのに外からはそう見えてしまいます。心配そうに朗読しなければならないのに、上から見
下ろすような頭の位置ではそういうニュアンスは声にでてきません。もっというと、心配というエキスで身体をぐらぐら揺さぶらなけれ、そういう声は出てきません。どんなにやってもできない。あー私って見下ろす癖があったんだ……! そんなことにもひとつひとつ気づいていかなければ「わたし」という楽器は鳴り始めません。
もうひとつ大切なことがあります。
ことばが語り手と聞き手によって成り立っているということです。当たり前なようですが自分にかまかればかまけれほど、閉じていく傾向が知らずと出てく
るので、これはありがたい事です。それというのもことばそのものが本質において、自分と向かい合うことと他者へ開いていくこととを同時に求めているからだと思います。この事はこのぐらいにしておきましょう。でも大事なことです。
レッスンをしていくとあるときこう気づきます。喉から声が出るのではない。全身から言葉が放たれる、と。解き放たれたことば(声)は人を解き放ち、慰撫します。ことばの癒しがあるとすれば、声をだすことそのものも大きさですが、最終的にはすっとひとりでみんなのために立てるときだと思います。それは自分がなくなっちゃうのとも違います。自分ばかりになってしまうのとも違います。自分にもと他者にも同時にひらかれてことばが出てきた時、リアルなことばが生まれるのでしょう。
黙読から音読への道のりには、赤ちゃんが母語を獲得するように、自分語を獲得するような大きな財産があります。自分自身のことばを生み出す。ただし赤ちゃんの時とは違って、意識的に練習しながらしかできません。
私たち言語造型家は、母親のような助産婦です。ひとりひとりのもっているその人にしかないもの、個人を何よりも大切にする職業人です。なぜならことばの本質は最終的には贈り物だからです。自分がいて、語りかけたい相手がいて、初めて私たちは語ることができます。贈り物は強制することができません。だからこそ贈り物になります。このことをベースにシュタイナーの思想、アントロポゾフィを背景にして、それに基づいた音の世界、人間学からことばを新しく学びなおしていきます。
そのために少人数(4ー6名が基本)の講座内で講師が受講者に口移しのようにして、ことばを伝えて行きます。でも最終的にお産をするのはみなさんだということを講師は決して忘れません。
三つのことばの世界を昇っていく
シュタイナーはことばの世界を三つに分けています。また改めて書きますので今は詳細は省きますが、お話の世界、ドラマの世界、詩の世界です。
この三つの世界を昇っていきながら、人は子どもから大人になっていきます。
ヴォルテでは、お話は素話しと朗読で学び、演劇の要素が入るストーリーテリングで空間を立ち上げることと、ナレーターがいかにありとあらゆることを表現できるかを学んでいきます。
手と腕の動かしかた一つで、登場人物になったり、その登場人物が海の中へ入ったことを表現できるほど、身体の動きは表現になります。この辺りからは紙面ではまったく何のことか表現しきれないことばかりを学び始めます。例えばぐるりと部屋の中を半周して振り向くと、場面が変わってしまう。
ほんとうに山の中の小屋に入って行くような感じがするような振り返り方や、海の中ならではどうなのか、といったことを学んでいきます。登場人物にどう変身するのかも、学びます。ただ声音を変えるだけでは、地声とわざとらしい声帯をぎゅっと締め付けてだしている登場人物のつもりの声が、二層に割れて聞こえます。こういったことはすべて、講座に居合わせていただいて、ほとんど口移し、身体ごと移してゆくようにしか学べません。ヴォルテのストーリーテリングは、ただの素話しではなく、演劇とお話の中間に位置しています。
そのため、お話の世界を学んだあとで、ストーリーテリングクラスに進み、その後で実際に演劇のワークをし、台本を使って演劇を学びます。
そして最後が詩の世界ですが、詩とは究極的に言うと感情ではなく「ひとりの人が物語も演劇もなくなったとしても、そこに立って他の人のためにどんなメッセージをもっているか」と言えるとわたしは考えています。
詩の朗読ではなく、最後にプレゼンテーションを学ぶのも、ヴォルテの特徴です。何を文章から読み取るのかをまず「プレゼンテーション1 論旨を読み取る」クラスで徹底的に学びます。
論旨は概要ではないのですが、論旨の流れを追ってもらう発表をしているうちに、どうしても概要を言ってしまいます。なにかを伝えるために、その人が何を最初に言って、何を次に言って、という展開そのものにその人の精神があらわれるので、その流れそのものを読み取る力を身につけていきます。
不思議なことに、素話しクラスで養った「わける」力や骨格をつかむ力、あらすじを作る力などがここで関係してきます。相手の自由を奪って、相手の意見をねじ伏せるように説得したりするのでもなく、セールストークのように人に物を買わせるためのプレゼンテーションでもない、プレゼンテーション。
果たしてそんなプレゼンテーションは可能なのでしょうか?人を説得するのではなく自分のことばで自分の意見を言う。それができるかできないかは大きな違いを人生の質に生み出すでしょう。
ここまで辿りついて、ヴォルテのレッスン体系は終了します。3ー5年かかります。生まれてから大人になるまでになんとなくことばを学んできた20年あまりをこの数年間で意識的に見直し、学びなおしていきます。
自分でお話会などの会を運営したい人は、個人レッスンでプレゼンテーションまで進み、読み聞かせや素話しなどを行うお話会などを運営する力をつけるプログラムがあります。ヴォルテで学ぶ人はスキルを身につけ、認可を得て行っていただいています。。ヴォルテではことばを楽器を学ぶこととして捉えた上でのレッスンを行っていますので、ピアノの先生になるためにスキルが必要なように、そのスキルなしにはできないと考えています。
ヴォルテのレッスンシステム
1 全員参加のおさらい会
各クラス年間18回のレッスンがあります。最後に行うおさらい会を19回目のレッスンととらえ、おさらい会で聴き手に実際に届ける場を体験することでしか学べないことを、大事にしています。時間をかけて、稽古をし、格闘し、好きになったお話を人に聴いていただくことで、初めて講座が終わるといえます。
クラスメートや、ほかのクラスの人がどんな風にお話と向き合ったのか、をみることができますし、またたくさんの大切に育てられたお話を聴くことは大人にとってもごちそうです。
そんなおさらい会を ことばを贈り物と捉えるヴォルテでは、一年間の一区切りとしています。
2 全員個人レッスン
毎年1−3月にかけては、ヴォルテ受講者は全員個人レッスン5コマを3回に分けて受けます。ことばは自発的な、とても個人的なもの。あるときはノートのとり方、家での練習の仕方を見直してみたら?とその方法を伝授し、あるときは睡眠時間や健康に言及、各自が特別な言語造形練習文を自分だけのたえに与えられ、その稽古方法を学びます。
そんな超個人的な個人レッスンこそが、言語造形の醍醐味なのです。きめ細かな指導により、自分にことばを通して向きあう手ごたえが出てきますし、個人レッスンを通して、全体で行う講座の密度が自然と高くなります。
ヴォルテレッスン体系
入門前のシリーズ ことばは子どものごちそう
日曜午前クラス 素話し(自分のことばと声を見つける・お話の世界)
↓
日曜午後クラス 素話・朗読 (お話の世界)・ 朗読上級(半畳のストーリーテリング)
個人レッスン開始の推奨 ・ごちそうシリーズ再受講の推奨
以後 個人レッスン者対象の中級以上のヴォルテクラスでは、
ストーリーテリング(お話の世界と演劇の世界の中間)
シアターワーク(演劇の世界)
プレゼンテーション1 論旨を読み取る
プレゼンテーション2 自分の考えを述べる
プレゼンテーション3 お話について語る
言語造型人間学講座、群読クラス、デモンストレーションクラス
などがあります。