Berlin(NUR JAPANISCH )

ベルリンのミッテと呼ばれる地区、ミッテは真ん中という意味で、そのとおりでベルリンの真ん中あたりにあるインゼルギャラリー。
3年前にここで行われた朗読会を聞きにいったのがきっかけで、写真家の友人ができた。彼女は私の母と同い年だというのに、実にエネルギッシュ。ゲーテの旅した道や、シラーの人生のさまざまなゆかりの場所を伝記のように順番にたどる写真展をしたり、ベルリンにある教会を本にしたり、第二次世界大戦を大人で生き延びた人たちにインタビューして本を作ったり、と常に5,6個のプロジェクトが平行しているよう。
しかも来るたびにいろいろなところへ連れて行ってくれる。
あれも知らない、これも知らないというと、黙ってじゃあ、来週行きましょう、と。
ここのギャラリストと3人でオストゼー(バルト海)に自転車旅行に行った。
自転車は乗れるけど、一日乗って、海岸にいったりするのは初めてだ、と言うと、驚いていた。
ヨーロッパの友人たちと、10代、20代をすごしていつもうらやましかったことがある。
それはみなさんには意外かもしれない。
外国に行くと、日本がまるで遅れた国みたいに言う人がいるけど、私はぜんぜんそんな風には感じなかったし、
今も感じない。ただ違うだけで、尺度を日本にもってくれば、ヨーロッパは野蛮なところがいっぱいありさえするし、その逆にすれば、日本はまだまだ地獄みたいなところもある。
どっちにせよ、いいとこばかり、ってありえない。
私は若かったせいか、そこにあるものをスポンジみたいに吸収するだけで、当時は何の疑問もはさまなかった。
でもどうしてもうらやましいものがあった。
それは、友人たちが自然と結びついて育っていることだった。
東京生まれ、東京育ちの私は土じたい、花壇や植木鉢の土くらいしか見たことがなかった。
湖のほとりで育ったり、山のそばに育ったり、海辺に育ったりした人たちは当然のように、自然の中でふるまった。
そして私には信じられないことをした。ノルウェーの友人は、夏休みに家に帰ったとき、夜、森へ行き、湖に行った話しをした。水に足を入れた瞬間、湖が返事したよう感じだそうだ。
そういうのは、旅行しててもできることだけれど、そこに生まれ育った人がして、話してくれると、厚みがぜんぜん違う。
頭でしゃべってなくて、体全体にノルウェーの森や湖が揺らいでくっついているみたいだった。
夜に海に入って、島が見えるようなところまで泳いでいったとか、山の中を二週間リュックを背負って旅行した、とか。それをするには、言葉にするのも面倒なくらい、一つ一つ気をつけたりする自然の中のルールが身についてないとならない。私は意識しないと、自然は存在していない。あるとしてもビルの谷間に見える空、風、そういうものに限られている。
何にも区切られていない自然を私は知らない。友達といて、そう思った。
そしてそれは、ヨーロッパの人たちにたいして、ひとつだけうらやましいことだった。
インゼルギャラリーはもと東ベルリンで、ギャラリストの女性も東の人。カメラマンの女性は西ドイツ出身で、二人は
女性アーチストのための協会を設立したり、と友人としてだけではなく、仲がよい。
でも東ベルリンでのかつての生活に話が及ぶと、意見は決裂する。
ギャラリストは、当時の東ドイツのアートシーンを担うような特権階級だったせいで、車もあったし、電話もあったり、
食料もなんでもあり、当然のごとく、統一後のドイツを嘆く。昔のほうがよかった、と。
でもカメラマンの友人は、おじさん一家が東ベルリンにいたせいで、ふつうの人たちがどんな生活をしていたかよく知っている。プレゼントを持っておじさんのところへいくと、何か隠していないか(東の人を改造した車の座席の中などに隠して亡命させた例を博物館で見たけど、そういうことを疑っていたのかも)、車の座席までバラバラにされたり、なかなか東ベルリンにいれてもらえなかったり。おじさん一家は魚を週に一度しか、見たことがなかったそうだ。それも買えなかったそうだ。
ソーセージもチーズも、西には何十種類もあったけど、東には一種類しかなかった。
今でも東出身の人に会うと、食べるものにあんまり興味がないのに驚く。それはこのせいかな?
さて、このギャラリーにはお世話になった。
自分の詩に動きがついた、パフォーマンス朗読TANZ AN DER PERIPHERIE をさせてもらった。

クロイツベルク地区にある、ベタニエンハウス。芸術家がここに住んで、展覧会している。さっそく上述の写真家とギャラリスト、画家の友人と4人で行った。テーマは散歩。
写真の手前の芝生は円形広場になっている。ここは5月1日のメーデーになると、お祭りが行われるそうだ。
クロイツベルク地区は、トルコ系のドイツ人やトルコ人が多く、外国人の私にとっては、いやすい。メーデーもトルコ人の人たちの屋台で、おいしそう & 楽しそう。
民族舞踊で踊りだしたらしい。

散歩がテーマということでパンフレットには英語でWALK!と楽しそうに書いてある。
どんなものかな?と見てみると、写真家の展覧会、絵画の展覧会がひとつずつあっただけで、あとはすべてビデオやインスタレーションだった。
二つおもしろいなと思うものがあった。
ひとつはビデオが5台部屋においてあって、ヘッドホンで音声を聞く。部屋の中は木のすのこみたいなものが異なる高さにおいてある。そこに入っていくと、まるで丘か何かの風景を体が思い出す。ヘッドホンを耳にすると、40歳くらいの女性がぶつぶつ話している。それが淡々としていて、たとえば指にできた腫れ物を引っ張ったらどうなった、とか、ここに確かアイルランドだったと思う、ここに来てからというもの、ここがなんとなく聖なる感じがして、この大自然の中でむだ毛の処理なんて、なんだかおこがましいのでしてないから、もうボウボウだ、という話を淡々としている。
もうひとつも女性の作品で、廊下においてある机に座って、本を見ながらヘッドホンを装着すると、8ページを開いて、とか話しかけられるので、そのとおりにアルバムみたいな本をめくっていく。なんだかあんまり耳元で話してくれるものだから、一緒にいて話してるみたいな感じがする。なかなかおもしろい。
どちらもアーチストの個人的な体験を、追体験しっかりできる。
アートやインスタレーションは特に、傾向としてどんどん個人的な体験を堂々とあれ、これって作品????みたいな傾向が強い。だったらそれをしっかり作品にしてたから面白かったのかな?
このベタニエンハウスはもともとキリスト教系の病院で、フォンタネがここの薬局で薬剤師として働いていた建物。
長い廊下。左右にドア。病院のつくりですよね。
でもカラフルに絵が描かれていて、アートよ!って感じたっぷり。
左の写真見るとわかるんだけど、よく見るとドアがあって、かつての病室みたい。
名前の書いてあるプレートが貼ってあって、どうやら実際にアーチストたちはここに住んでいるらしい。
うーん、病院ぽいんですよね。で、みんなアーチストっていうのは、住むには大変かな?なんて勝手に思ってしまった。中に入ったとたん、展覧会の雰囲気で、わくわくした。入場料は無料。こんな展覧会や、ギャラリーのオープニングパーティなどは毎日、本当にたくさんある
ベルリン通いの理由は、芸術がすぐそこにあるということかもしれない。あとは家賃が安いこと、これはどうしてもはずせない。お金がそんなになくても都市の生活ができる、こんな首都ってほかにあるかな??

見るのにちょいと疲れたら、バルコニーに出て一休み。ベルリンの人はベック(ビール)が好きみたい。
スモーカーもほんとに多いですね。
知らない人。

展覧会を見終わると夕方。遠くの方に、楽しさを約束するような明かりが見えた。
ここはクロイツベルク地区。たくさんのおいしくて安価なレストラン、カフェ、飲み屋、クラブが乱立している楽しい誘惑どころだ。
私は画家の友人と、がんがん散歩した。
地下鉄3駅分くらい歩いた気がします。でも歩いているうちに、どんどん暗さが増していき、明かりがともり始め、わくわくするのはなぜだろう?

ワルシャワシュトラーセ駅から、地下鉄の一番で一駅のシュレーズィッシェストーア駅の目の前のお菓子やさん。
朝4時でもしているので、踊り明かした晩には、ここに行って紅茶を飲み、あまーいケーキやお菓子、パンを食べるのがおいしい。
といっても、私はあんまり夜遊びは得意ではないです。
ベルリンにはワーキングホリデーという30歳までの人のためのビザがあるせいか、日本人の人が多くなりました。
10年くらい前にも通ったことが1,2年あったんですが、そのころはとにかく東ベルリン地区は怖かったし、日本人なんて見たことねーよ!って感じのつめたーい視線、興味の視線があった。東西統一で、必死についていこうとする人たちの生活があった。今はどんどんお金もちになってる感じで、どこを歩いても安心。私は東京を夜中に歩くほうが怖いな。
以前、私が留学していたころ、1989−1998年とは違い、駐在員の方たちだけではない日本人がいて、面白いですね。インターネットもクレジットカードも普及して、外国にいるって感じは少し減って、かなりいやすいし、あのころは日本人は生でお魚を食べるんでしょう?と眉をひそめてお寿司のことを聞かれた。えーそれって悪いことなんですか?って言いたかったけど、あなたたちが野蛮国だからでしょ、みたいな前提があって言えなかったよな。
それが今では、「私、お米好きよ。お寿司も大好き」と流行に逆らえないんでしょうね。お米って食べられる?とこちらが聞こうものなら、多くの人がにっこり。しかも、アニメ、漫画の普及のせいで、10代、20代の人たちは日本にあこがれてさえ、いる。友人のだんなさんの高校では日本語が外国語としてあるようです。
時代が変わるっていいですね!

この日はくたくた。家のドアを見るとほっとします。でも4階までの階段が。エレベーターはありません。でも天井の高いアルトバウと呼ばれる昔の建築なので、広々して気持ちがいいです。このマンションに行くためだけにでも、ベルリンに行きたいと思ってしまいます。
お家にせよ、もっと大きな建物でも、建築って体で感じるものみたい。

出かけてばかりではなく、詩も書きます。
詩を書くには、やっぱり生活して、生きて、いろんな人を見て、いろんな人と話をして・・・・・・。
それでやっと一行が出てくる!?

ベルリン生まれ、ベルリン育ちの友達が、今年はクイズラリーをして、ベルリンをもっと知ろうという催しものをし始めた。やってないからいまだになんのことかわからない。
私はスイス旅行で、それには参加できず、クイズラリーの会場のひとつ、ベゼッツテンハウスの屋上に連れていってもらいました。このベゼッツテンハウスというのは、人があんまり住んでいない建物にパンクの人たちが勝手に住んでいる家のことをいうらしい。
ここもそれらしい。
ベルリンはあんまり人がいないのに、土地も建物もすごくあまっています。家賃が安いのもベルリンの特徴で、ミュンヘンや私の好きなフライブルクでは、家賃が高いですね。スイスはもっと高いですが。安いから、アーチストがたくさん住んでいるのかも。もちろんそれだけじゃなくて、ベルリンはとても魅力的な街なんです。
でも人口が減っているから、日本も30年後には土地があまって、マイホームにすべてを投入せずにすむような、まったく違う人生設計をするような時代になるのかな?
屋根に上るために、屋根のふたをこじあけて、脇にあるはしごをかける。

なんの手すりもないので、気をつけない危ない。
この友人も詩を書いているので、屋根の上ではそんな話をしながら、雲を眺めてた。
屋根に上っていく間、屋根裏には、マットレスがぽんぽんとおいてあって、誰かここで寝てるのかな?
冬にはここで寝てるんじゃない?と友人。
じゃあ今はどっか別のところに寝てるのかなあと勝手に思う。

空が近くて、きれい。スイスの空もおそうじしたみたいにとってもきれいなんだけど、ベルリンはそういう小細工や手間はかかってなくて、え、こんなにうぶなの、こんなにきれいなの。という感じです。
ここの人はなんだかクールが好きみたいだけど、実際はそんなにクールでもスタイリッシュでも合理的でもないんじゃないか、とつっこみたくなるほど、まじめでうぶ?!
まじめさや硬さも、もちろんあるけどさ。

私の住んでいるのはワルシャワシュトラーセ駅のそば。
ここは電車からおりて、階段を上るたびに、風景がきれいではっとする。デジカメで写真を撮る人もしょっちゅう見かけます。きれいだから、思わず撮りたくなるんでしょうね。

15,6歳くらいから20代前半の人が遊びに繰り出してくる地域なので、木曜日の夜、金曜、土曜もすごい人の流れです。窓を開けて寝ていると、うるさい。寝ようとするころ、盛り上がる。
生でバンドが演奏????どよめいてる????
でも慣れました。ぐっすり眠れます。

いざ、スイスへ。
20歳から26歳まで、スイスのバーゼルそばにあるドルナッハという村で、大学に通っておりました。今はそこで学んだ言語造形のスタジオを開きながら、朗読の学校みたいなものです、詩を書いてます。そこに大学時代の友人が二人いるので、たまに遊びに行きます。
ベルリンとはまたぜんぜん違う。行くたびに、知ってるけどびっくりしちゃう。