わたしの中から詩が消えていく











当然だ

嘘をつくのは朝飯前で

自分をだますのがやめられない



(詩集「聞こえないハレルヤ」より)







 一年に二回、春と夏に、1ヶ月か2ヶ月ずつ、ベルリンに通う生活を送っている。
何のために行くのか?といわれると困ってしまう。詩を書いているだけだから。
でも詩を書くためには、いっぱい生活して、いっぱい生きなければならない。
何年もかかって、すーっと一行、二行にそれが集まっていく。

 何しにベルリンに行くの?は、
何のために生きているの?ときかれてるみたいだ。

 詩を書いているといっても、それが誰の役に立つのかよくわからない。ほんとうに、なにしに行くの?あるいは何しに来たの?と聞かれると(めったにないけど、勝手に自分で自分に聞いている)まるでなんのために生きているの?と言われているみたいだ。

 でも、ベルリンに行くと、違う風に考えられる。違う空気の中で、違う光の中で、ベルリンにいる友人たちと過ごしているうちに、日本で考えていたのとは違う風に考えられる。日本にいても、それができるようになったら、きっともう行かなくてすまなくなるに違いない。

 ベルリンの道路が硬い、というわけではないけれど、かかとから、ガシガシ歩かないと前に進まない気がする。
生きるって、こんなに体力がいるんだ、と実感する。




Ich pendele zwischen Tokyo und Berlin, seit 4 Jahren.
Wozu? frage ich mich.
Ich kann keine Antwort geben.
Denn die Frage veraendert sich, wenn ich darauf antworten will;
wozu lebst du?

Da kann man nur schweigen.


Nachtraegliche Sehnsucht





Einen nach dem anderen

warf ich den Stein,

ins Wasser hinein.

Als kein Stein mehr lag, weit und breit,

zum Werfen,

wartete ich darauf,

dass die Schwingungen zuruckkehren,

die vom Steinwurf ausgingen.

Ich war ruhig,

wie noch nie.






Das sind die nachtraegliche Sehnsuechte.







(Tanz an der Peripherie)






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